70回目の終戦記念日を迎えました。昨日公表された安倍総理の「戦後70年談話」は、メディア、そして自分の周りではそれぞれどのような評価になっているでしょうか。安全保障関連法案などのそれと同様、自分の考えとかなりのギャップがあると感じた人も多いのではないかと思います。
先日、ある団体からお誘いを受け、「スモールコミュニティ」の限界と可能性を探るイベントに登壇させていただきました。そこでは、自分のSNSに流れる議論と他人のタイムラインに流れる議論、それにメディアによる報道との間に大きなズレがあることなどが指摘されました。
FacebookのタイムラインやGoogleの検索結果など、私たちが普段接している情報空間は、属性やインターネット上でとったアクションを考慮したアルゴリズムによって一人ひとりにとって“最適化”され、居心地が良いように設計されています。「居心地が良い」ということは、すなわち「自分と異なる価値観と出会わない」ということ。極端にノイズの少ない環境の中で現代社会のコミュニケーションは生まれていて、それをベースに同じ価値観でつながる「スモールコミュニティ」がつくられているとのことです。(イーライ・パリサー氏が2012年に出した著作『閉じこもるインターネット』では、「急速なアルゴリズムの発達により、私たちは自分が見たい情報だけを取捨選択して見せてくれる『フィルターバブル』で覆われつつある」と指摘されています。)
結果、この「スモール」なコミュニティ同士、それにメディアとの間で意見の相違が生まれやすく、また違いが強調されやすくなっているのです。
では、この時代にあって「外」とも適度なつながりをもつこと、換言すれば「スモールコミュニティ」の内側で「いいね!」し合うだけではなく、外側の世界も含めて価値観を共有していくためには、どのようなアプローチが必要なのでしょうか。
「フィルターバブル」を越えていく。
私が代表を務めているNPO法人グリーンバードでは、現在、国内外の66のチームでまちのごみ拾いやまちづくりのサポートを行っています。2002年にプロジェクトをスタートした頃のコンセプトは、「ごみのポイ捨てカッコ悪いぜ。」ポイ捨てごみをなくすには、ただ拾うだけでなく、ごみを「捨てる人」を減らすことが必要と思い、まちにポイ捨てしづらい空気をつくろうと考えました。
では、どうすればいいのか。それは、①ごみを拾っている人をまちの中で目立たせること。ごみ拾いをしている人が目立っている場所では、人はなかなか捨てられません。そして、②「ごみ拾いを一度でもしたことがある人は二度とポイ捨てしないの法則」を大いに利用することです。一度でもごみ拾いをした人は拾う人の気持ちが分かるから、二度とポイ捨てしません。
私たちの活動に一度でも参加してくれる人を増やす—まちでとにかく目立ち、普段捨てそうな人をも巻き込んだ活動にするべく、ナイキのビブス、タワーレコードの軍手、そしてコカ・コーラのゴミ袋を身につけ、カッコ良さを売りにして活動を続けた結果、今では、グリーンバードのあるまちは、ないところよりもキレイで、カッコいいと自負できるようになりました。
私たちがコミュニティをつくる時に大切にしていることの一つは、いつでも入ってこられて、いつでも抜けられる雰囲気をつくることです。定例のごみ拾いではいつもだいたい50%くらいの人たちが初参加となることを意識し、排他的ではなく(バブルをつくらず)、自由で開放的な「オープンコミュニティ」を目指しています。各地で活躍する66人のリーダーの仕事は、色々な分野の人に呼びかけて活動の輪を広げていくこと。そのために、まちでしょっちゅうイベントを企画したり、地域でこれまで接点のなかった会社や大学などに積極的に呼びかけたりしています。近しい仲間とだけの、閉じこもった活動は行わないこと。(老若男女、苦手な相手にも話しかけ、他団体ともどんどん交流するようにしています。)これが活動の広がりにとって、とても大事なことだと思っています。
いつも話さない人と、真剣に議論してみる。
翻って、今日は終戦記念日。(「敗戦記念日」、「戦勝記念日」と立場と見方によって捉え方は異なります。)私たち日本人にとっては、戦争について改めて考える日です。
国会では安全保障関連法案が審議されていますが、各種世論調査を見ても、国民の多くが「議論が深まっていない」と考えているのは、与野党とも一方的に意見を主張していて議論がかみ合っていないことに加えて、インターネット上でも、実は「フィルターバブル」の中で似たような意見ばかりが情報として入ってくる、もしくは自分でも気づかないまま凝り固まってしまった考え方を投稿しているだけだからではないでしょうか。(因みに、議論が深まらないままの現状において、安易に法律を通すべきではなく、まずは廃案にしてもう一度一から「安全保障」について考え直すべきだというのが私の今の考えです。)
私は「活動家」です。ごみのポイ捨てをなくすため、また若者が地域に向かう流れをつくり出すため、世の中に一つのうねりをつくろうと活動しています。「運動論」としては、とことん議論し、時には妥協して違う立場・意見の相手とも積極的に手を組まなければならない。そうした意味でも、(決して得意ではないけれど)日々様々な人と会い、勉強会をし、なるべくオープンなメディアに接し、意見を投げかけ、(Amazonのレビューを避けて)本屋さんに行き、乱読し、そしてグリーンバードに参加しています。そうすることで、取り込まれず、多様性を受け入れる素地も何とか身につけたいと、もがいています。
本質的な議論ができていない事柄については、突然行使された強い力や「流行」によって一つの方向に一気に向かってしまいがちなのが「フィルターバブル」社会の特徴ですし、また歴史の教訓でもあります。だから、今日はいつも以上に、色々な人とリアルに議論する日にしたいと思います。